「この経験の中で自分が成長できた。」
「これがなければ、自分はつまらない人生を送っていたことだろう。」
発達障害や精神障害の当事者家族から、このような言葉を聞くことがあります。
当事者の状態が落ち着いてくると、親も心に変化が起きて、自分自身をふり返られるのだろうと思います。
当然のこと、騒動の渦中にいる時の親は、「地獄のような苦しみに耐えておられた」のでしょう。
さて、「四苦八苦」は二千五百年前に、お釈迦様が説いた言葉だとされています。
これが本当なのかどうかは、分かりません。
「四苦」とは、生・老・病・死であります。また「八苦」とは、それに加えて愛憎・別離・欲・煩悩のことでしょう。
つまり生きていることは、「苦しみから逃れられない」ということですね。
昔から、人間はこのような苦しみに耐えてきたことになります。
私だって、苦しむことなどは嫌です。避けて通りたいです。
でも、子どもが発達障害や精神障害であると、親は避けられない苦しい境遇に晒されます。
そこで起きることです。
親たちの多くは、人権感覚を磨いて社会悪を許さない人格となっていかれます。
苦しみ抜いた先の「悟り」みたいなものが起きてくるのでしょう。
苦しみ続けるのはつらいですが、その先に「心の平安がある」と信じたいですね。
さて、カウンセリングの話です。
カウンセリングでは、起きている問題を直接に解決することができません。
その意味で、カウンセリングは無力なのです。
では、「カウンセリングとは何をするのか」というと、その方が問題を抱えながらも生活ができるように、心を支える役割をするのです。
苦しいのは、問題を拒否するところから起きてきているのです。
ですから、その方の心に寄り添って、その方の心の負担を少し減らし、問題と向かい合っていけるように支援をします。
そのことで悩みの問題は何も解決しないのですが、その方がだんだんと問題を受け入れられるようになってくるのです。
これが「カウンセリングの過程」です。
発達障害や精神障害などの問題でなくても、生きているということは悩みが尽きません。
「四苦八苦」です。
大事なことは「苦しみから学ぶ」ことでないかと、家族の方から教えられている私なのです。