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【コラム第17号】環境が「発達障害」の困難を作っている~当事者の責任にしない考え方


新聞の社説に、「発達障害の理解」という記事が書かれていました。

 

 

発達障害の問題が当事者に原因があるという考え方でなく、社会や文化といった環境の方に原因があるという考え方です。

 

 

 

要するに、発達障害を「その人の個性として捉えていく」考え方が大事だということですね。

 

私も、そこは同感です。

みんなが同じようでなければならないというような現代社会の風潮は、発達障害だけでなく様々な人に大きな弊害になっていると感じています。

 

 

 

具体的には、精神障害の方の増加や、引きこもりや不登校の問題です。

 

その原因が、社会の横並びや没個性化にあると思っています。

「協調性」や「コミュニケーション力」「場の空気を読む」などを過度に要求するところに、大きな問題があるのでしょう。

 

 

 

さて、「発達障害を個性と捉えるだけでよいのか」の疑問が残ります。

 

もちろん、発達障害を個性と捉えるのは大事です。

 

しかし、当事者の非社会性の傾向については、社会や教育が努力して解決しなければならない課題であると思います。

 

つまり、「あなたは人間嫌いだから、一人で家にこもっていてもよい」などの考え方になってはいけませんね。

 

これでは、切り捨てです。

 

 

 

発達障害の理解で大事なことは、「当事者にも理解できる伝え方・表現の仕方」にあります。

 

言葉で伝わらない時は、「文字や図形・表」などに視覚化するとかの方法で、「聞いて理解する」よりも「見て分かる」ような工夫が大事になるでしょう。

 

多くは、社会全体による努力が重要です。

 

 

 

半面で、当事者自身による社会へ寄り添っていく努力も大事だと考えます。

 

健全な社会というのは、さまざまな人間が相互の違いを乗り超えて、共同していくところにあります。

 

支配や対立よりも、理解と共感を大事にする社会になって欲しいと願っています。