発達障害などは、江戸時代と言わずとも、昭和・大正・明治になかった言葉・概念です。
平成時代になってから出てきた障害の概念です。
それも、この10年ぐらいの間ではないでしょうか。
つまり、発達障害というのは過去に存在してなくて、新しく出てきた障害の概念なのです。
ただ、その発達障害の特性を持った人は、大昔から多く存在したと思われます。
だけど、社会が寛容であり、そんなものは大きな問題でなかったようです。
一昔前まで、「変わり者」とか「頑固人」のようなことで、まわりから受け入れられていたように考えます。
対人関係が苦手な発達障害の方は、職人・技術者として活躍の場があったのでしょう。
さて、現在は社会や仕事から過剰な対人関係能力が要求されます。
これは子どもたちにも要求されて、学校の学習でも対人関係能力がなければ問題児となるようです。
昭和の時代が懐かしいというか、ゆったりとした感じがします。
少々落ちこぼれの者でも、それなりに環境適応が可能であったように思い出します。
現在ほど窮屈な感じではなかったですね。
学者の中には、「あと10年もすれば発達障害の言葉がなくなるかも知れない。」と言われている方が居ます。
私も、そのように思っています。
現在というのは、社会が過剰に対人関係を要求するところから、発達障害という言葉が流行っていると思うのです。
社会の要求が適正な対人関係の能力レベルになれば、発達障害の概念がなくなるでしょう。
人間というのは多様性があり、人間関係が得意な方もいれば、苦手な方もいるのが自然です。
それは、走るのが速い人が居れば、遅い人が居るのが自然なのと同じことです。
人間などの動物は、多種多様性により環境の変化に対応して生き残ってきています。
人間は歩くサルであり、標準的なサルから見れば、変なことをやっている存在であったはずです。
サルが木から降りて歩き出したことで、現在の人間になったわけです。
この多様性が、人類の危機を乗り越えさせてきたわけです。
多様性というか、いろいろな人間がいるところで、危機事態に対応ができたのですね。
さて、発達障害の本当の問題は障害特性でなく、まわりの者からの非難にあると思われます。
平均的なことができない発達障害に対して、無能力を責めたり、否定的な言葉を浴びせたり、薬を飲ませたりして、欠陥のある人間として扱うところです。
それにより発達障害当事者は自己否定に陥り、自尊感情が育たず、その結果で精神疾患となっていきます。
あと10年を待たずとも、各家庭では肯定的な態度で、当事者の成長発達を見守って、立派な社会人になるように応援をしてやってください。