· 

立ち話に入っていけない私~目には見えないバリアの正体


 

発達障害のすべての方が、これに当てはまるかどうかの保証はできません。

 

でも、他者が集まるところ、複数の人間が集まって話している状況に、どうしても入っていけない自分を感じることがあります。

 

発達障害の当事者に、この状態があるかどうかを確認すると、やはり同じような不自由を感じている方が多いようです。

 

 

 

さて、以下は私のことです。

 

普段はよく知っている親しい人達が、複数で立ち話をしている場面を見ると、急に親近感が消えて見知らぬ人と同じように遠く感じてしまいます。

 

私には社交性があり、たいていの人と仲よくすることができるのです。

 

でも、特定の場面になると、このような対人的な違和感を感じるのです。

 

そのところで、発達障害の方に対人関係の苦手があるのは、対人スキル不足の問題だけでなく、「見えないバリア」のような困難があるのかも知れません。

 

これは理屈で理解できない現象なのですが、自己分析を試みました。

 

どうやら、話題がつかめないところで、このようなことが起きると思い当たりました。

 

立ち話というのは世間話で、特定のテーマについて話し合う場でありません。

 

立ち話は、話の内容よりもコミュニケーションを楽しむ場なのです。

 

私はテーマが決まった話ならばいくらでもできますが、何か意味がよくわかないような会話が苦手です。

 

つまり、世間話が苦手なわけです。

 

それで、どうやら会話の輪の中に入れない状態になるようです。

 

そんな時の私は、えい・やーと場の中に飛び込んでバリアを打ち破ります。

 

そして会話に参加するのですが、あまり大事な話の内容でないのが常です。

 

 

 

さて、当事者から「どうしたら世間話ができるようになるのか」というような相談を受けることがあります。

 

そんな時の私は、「世間話というのは、どうでもよいことを話題にしていて、話の中身に大きな意味がない会話です」と伝えています。

 

だから、「話の輪の中に入っていけなくても、あまり問題ではない」と言っています。

 

「世間話ができなくても、大事なことを伝えられることができたら、それで大丈夫ですよ」と伝えるのです。

 

また、コミュニケーションすることが目的なので、夜に「犬がワン・わおーっと吠え合ったり、猫がニャーゴ・ニャーゴと呼び合ったりするのと同じようなものですよ」と伝えています。

 

「だから、話の輪に入っていけなくても、心配しないように」と言っています。

 

さて、発達障害の特性がある方は、意味のない会話などが理解できないのです。

 

ですから、世間話ができるようになろうなどとは考えない方がよいでしょうね。