先日の新聞に「織田信長」について書かれていた記事がありました。
織田信長と言えば、若い時は非常識な行動が多いところから、「うつけもの」(愚か者)と言われていました。
驚くような奇抜な服を着たり、超長刀の後ろに独楽をつけてゴロゴロさせて歩いたり、常識はずれなところが多かったようです。
それは、有名な話です。
しかし、この新聞の記事によると、新しい文書資料が発見され、大人になった信長は、けっこう礼儀正しい常識人となっていたようです。
信長が書いたとされる手紙には、他人から笑われるような恥ずかしいことを慎むべきだとか、そのように書いているようです。
さて、信長は発達障害であったという説がありますが、この記事を読むとちょっと違うようです。
おそらく、信長が成人するまでは自由気ままな生活をしていたのが、大人になって成長発達により、社会性のある常識人になったのでしょう。
私は、そのように考えます。
発達障害の自閉症スペクトラムも、ADHDも、成長発達をするわけです。
いつまでも同じ状態であるとは、とても考えられません。
発達障害の問題は、最近になって言われ出した障害です。
私個人は、あまり障害であると思っていません。
発達障害は、昭和や大正、明治、江戸、鎌倉、平安、天平年間など、現代の時代以外には存在しなかった障害です。
ですから、発達障害は現代社会が作り出した障害であると認識しています。
「場の空気を読む」とか「集団への適応」とか、「コミュニケーション能力」とか、そのようなことをうるさく言いだしたのは、最近のことです。
特に学校で特別支援教育が始まったことで、子どもたちの行動の問題が多く取り上げられるようになりました。
その結果、10人に1人ぐらいは発達障害の疑いになりそうな感じです。
教師の仕事は、発達障害の子どもを見つけて、保護者へ児童相談所や病院への受診を勧めるようになっています。
発達障害とは何なのか、医学的にも科学的にも、原因も治療法も究明されていません。
無責任なことは、止めて欲しいのです。
特に、子どもに投薬するのは大変な問題なのです。
私は精神障害者と関わっていますが、多くが薬物依存で薬を止めることができず、その副作用のために苦しんでいます。
死ぬまで、薬を飲み続けなければならない状態です。
そのために仕事にも就けず、悲しいことです。
さて私は、発達障害が昔からあった自然な子どもの姿であり、本当は別に深刻なものでないとの認識です。
子どもですから、少々行動上の問題があっても、温かく見守って成長発達を待つことが大事なのです。
昔は、特別支援教育などがなくても、それなりに育っていたという事実があります。
勉強ができる子・できない子、足の速い子・遅い子、器用な子・不器用な子など、昔から存在しており、教育はそれなりに社会人として育っていけるように支援をしていました。
薬を常用するような子どもはいなかったです。
ですから、発達障害の深刻な問題の正体は、薬物投与にあると考えています。
今後、社会のみなさんの認識が変わって、発達障害などは問題がないとされる日が訪れることを望んでいます。
10年後は、発達障害の言葉がなくなっていることを期待しているのです。
人間は、いろいろな人がいるので社会が面白いわけです。
進化論的に考えても、多様な人がいることが社会に重要な要素になります。
親はあまり不安にならないで、子どもを大事に育ててやって欲しいと願っています。