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普通を基準にする考え方は間違い~発達障害の当事者理解の方法


 

発達障害の方の悩みで一番困っているのは、自分の状態を周りの者に理解してもらえないところであり、そこに苦しさがあるように思うのです。

 

しかし、当事者の親は悩みとして、引きこもっていることをはじめ、夜中に風呂に入るとか、一日中ゲームばかりやっているとか、成人の当事者の場合ならば、働かないので将来が心配だとか、親の側から見える現象的な問題を訴えます。

 

親にすれば、普通でないことを問題にしているわけです。

 

親にとっては普通が基準なので、当事者が常識外れの変なことばかりしているように見えるでしょう。

 

これが高じると異常ということになってしまいます。

 

そして、精神科の薬を飲んで治療することになっているのでしょう。

 

普通(多くの人がやっている平均的な行動)が基準なので、親は当事者を普通の状態にしようとして躍起になるのですね。

 

これは、私の推測の話になります。

 

ですから、正確な話でありません。

 

 

 

ここで、話を戻します。

 

多くの当事者にとって、自分は普通に暮らしているつもりなのです。

 

そうなのですが、まわりの者からは変だと言われます。

 

そこで当事者は、自分のどこが変なのか分からず困るのです。

 

これでは、当事者の頭の中が混乱しますね。

 

発達障害当事者には、自分の状態を自覚することができない特徴があります。

 

ですから、親がいくら問題を指摘しても、ピンとこないわけです。

 

これを親があまり強く言うと、親子の心が離れていきます。

 

親子断絶をしてしまうわけです。

 

 

 

さて、私は当事者理解の方法として、発達症・発達障害・自閉症スぺクトラムの仮説を立てて考えています。

 

当事者に何が起きているのか、それを理解するための方法としての仮説です。

 

私の仮説の大きな特徴は、当事者が生まれつき視覚優位であり、その影響で成長発達上で起きてきている脳ネットワークの不備の問題です。

 

これは、表面に見えるものばかりが優先され、見えないもの(心など)や内在化されているもの(システムや過程)の理解が難しい状態になっているという仮説です。

 

私から言えば要するに、物事は表面上に見えないものにも価値があること。

 

社会では見えないものを重視していること。

 

これに気付かせていくことが支援になると考えています。

 

大事なことは、これを機械的・教条的に教え込むことでありません。

 

当事者が「これで困っている」と、まず親が理解することから始まります。

 

普通じゃないと思わずに、これが子どもにとって見えている世界なのだと、それを理解することが支援になります。

 

批判的にならず現象をそのまま理解して、「これはこうなのだよ」と丁寧に教えてやることが必要です。

 

私は発達障害が、社会的にそんな困ったものでないと考えています。

 

発達障害は昔からあったはずです。

 

過去の当事者も、何か分からず困っていたことでしょう。

 

ただ、背景である社会が、あまり問題にしなかったのだと思います。

 

ですから、こじれたりしなかったのだと思うのです。

 

現代は、教育、医療とが発達障害を歪(いびつ)に取り上げています。

 

その構図の中で、発達障害を福祉までが商業的な利用をしていると感じられます。

 

私は、親や家庭での当事者理解が何よりも大事だと思っているのです。