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教師の「心の理論」の問題


子どものことで、幼稚園の時に園長から「将来は犯罪者になる。」と言われた人がいます。
親の躾がなっていないので、子どもの社会性が育たず、このまま大人になると犯罪者になると言われたそうです。
その当時は、発達障害という言葉も概念もない時であったので、親の育て方が悪いから子どもの心が歪んでいると考えたのでしょう。
小学校の間は、何の役にも立たないくだらない知識ばかりを持っているが、肝心なことを知らない、全く取り柄のない子ども だと非難的に言われていました。
小学校はそんな対応であったが、中学生になると学校からの言葉が変わりました。
子どもが発達障害であるのに、病院の治療も受けさせていない無責任な親だと非難するようになったのです。
「発達障害によく効く薬があるので、どうして薬を飲まさないのか。」ということでありました。
さて、親は教師との対応に振り回さられました。
でも、大人はまだよいのです。
本人の意思とは全く関係のないところで、性格がだらしないだの、病気だの、障害だの、否定的な扱いを受け続けてきているのです。
その結果として、発達障害や精神障害になっていくのだろうと考えています。
幼い頃から、問題のある駄目な人間という烙印を押されると、否定的な自己像ができあがっていくわけです。
そんなことで、私は発達障害で困る原因が、学校での扱いのところにあると思っています。
たぶん教師だって、長期にわたって自分のできない問題の部分にばかり焦点を当てられると、やる気が出ず仕事が嫌になってしまうでしょう。
そうなのにどうして、そのような子ども側に立った想像ができないのでしょう。
これは、教師の「心の理論」が使えないところの問題であると考えます。
教師も、自分をふり返ってよく考えて欲しいと願っています。