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子どもたちを立派な大人に~発達障害症候群(シンドローム)

 

本当のことを言えば、私は発達障害という言葉を使いたくないと思っています。

 

その理由は、発達障害の診断が、血液検査のような臨床検査でなく、医者の主観的なところでされているからです。

 

ですから、子どもが複数の病院へ行くと、そのたびに運動機能障害だったりADHDになったり、自閉症スペクトラムになったり、診断名がどんどん変わることがあります。

 

私は、発達障害が「障害とは言えない」と思っているのです。

 

でも、その子どもの困難の状態を表すには、発達障害という言葉でなければ分かり難いので、便宜的に使っているのです。

 

学校の先生は自分の手に負えない子どもを、発達障害だと言って病院へ行かせていないでしょうか。

 

また、病院では "学校などでの不適応のある子ども"に、"何か診断名をつけなければならない"ところで、発達障害となっているのかも知れません。

 

ただし、この子どもたちは本当に困難を抱えているので、当然のこと、理解と支援が必要ですね。

 

でも、一部の子どもを除いて、診断などはなくても支援ができると思われます。

 

 

 

そこで、私は発達障害を「発達障害症候群(シンドローム)」と、新たに名前を付けることにしました。

 

本当に困難の強い発達障害の子どももいるけれど、それに近い状態を示すけれど、医療対象の範疇に入らないような子どももたくさんいるという意味です。

 

ですから、広い範囲を示すところで、発達障害症候群(シンドローム)であると考えるのです。

 

発達障害のような子どもの状態は、家庭環境の状態の悪さや親の情緒不安定など、さまざまな原因でも起きてくることがあるのです。

 

そうであれば、脳機能の問題よりも、家庭や学校の環境の問題の方に原因がありますね。

 

 

 

少し前の時代まで、発達障害という概念や言葉などがありませんでした。

 

その頃の先生は、それなりに工夫をして子どもを大事にして育ててきました。

 

ですから支援は、発達障害の診断がなくても、学校や家庭で十分にできると思われます。

 

むしろ、児童期は学校で手厚い支援をすることが重要になるでしょう。

 

また、教育委員会には教育やカウンセリングの専門家がいて、学校の先生方に対しても、子どもへの支援のやり方を研修で教えることができますね。

 

 

 

さて、学校の先生が子どもや親に対して、「病院へ行った方がよいですよ」と言うことがあるようです。

 

それを言われた子どもや親は、言葉をどのように受け取るでしょうか。

 

おそらく、「学校の手に負えません」「手に負えない病気か障害ですから医者の方へ」と受け取るように思います。

 

先生から見捨てられるのですから、それはショックでしょう。

 

不信感になるかも知れません。

 

医者は病気や障害の専門家です。

 

学校の先生は、子どもたちの教育の専門家なのです。

 

学校の先生は責任をもって、子どもたちを立派な大人に育て上げて欲しいと願っています。