優生保護法は、昔のドイツのナチが考え出したものです。
障害者・年寄りやユダヤ人など、税金の無駄遣いになる人間は抹殺した方がよいという考え方です。
日本でも数年前に、神奈川のやまゆり園という施設で、職員による大量虐殺がありました。
犯人の彼は、麻薬の大麻を使って、その上でナチス・ヒットラーの「我が闘争」という書物を読んで、障害者を抹殺した方がよいという考えに至ったようです。
その他に、過去の日本では、障害者に子どもができないように強制的に避妊手術をさせていました。
そのことは、最近になって、社会の大問題になっています。
この問題は、障害は遺伝するというナチスが考えたような、古典的な発想から起きています。
現代の医学や科学では、障害は遺伝的な要素と環境的要素、そして本人の行動特性の3つによって起きてくると考えられています。
つまり、遺伝的要素があっても、環境がよければ発症しないのです。
現代の日本人の100人に一人は、生涯にわたって発病するデータがあります。
ですから、遺伝がどうのこうのと言うのは、ほとんど間違った誤解です。
私は、精神障害や発達症の方の支援をしていますが、多くの当事者や家族が不治の病というような捉え方をしています。
そこで私は、精神障害も発達症も改善の可能性があることを力説しています。
本当に、そうなのです。
社会が不治の病のような見方をするので、当事者や家族もそのように考えてしまうわけです。
また、もう一つ原因は、精神科の医者も「これは治りません」というので、絶望的になると考えています。
医者の言うところも一理あって、完全には治らないという意味なのです。
でも、当事者や家族は、全く治らないと受け取ってしまいます。そこに問題の原因があるのです。
私は、完全に治らなくても、落ち着いた小さな幸せな生活を送ることが、可能であると言っています。
高望みした職業を選ばなければ、仕事にも就けます。
私の知り合いで、そのように自立している方もおられます。
障害は遺伝的要素によるだけではありません。他者と仲よく暮らすための生活的学習をして、小さな幸せを求めるならば、障害があっても幸せな人生が得られます。
そのためには、優生保護法のような悪法や考え方を、排除する世の中にしなければなりませんね。