学校では、さまざまな問題が起きています。
教師が悪いとか、指導要領などの教育指針が悪いとか、受験戦争が悪いとか、親の家庭教育がなってないとか、いろいろなことが言われています。
そして、問題解決の糸口すら見えない状況ですね。
さて、学校とは何であるのかということです。
歴史的に、学校というものができる前は、子どもが家に居て、親の仕事や家事を助けていたわけです。
その頃は、子どもを「小さな大人」の労働戦力として見ていました。
学校へ行かないので、普通は文字の読み書きなどができなかったのです。
(余談ですが、子どものおもちゃなどがなく、玩具は近代に出てきた物らしいです。)
王様や貴族などの裕福な家庭の子どもだけ、家庭教師がついて勉強を教えていたわけです。
特権階級は、書類を読んだり書いたりする必要があったからでしょう。
日本では、江戸時代から裕福な商人が作った寺子屋があって、文字の読み書きそろばんの計算を教えていたようです。
そのころの日本は、識字率が世界一だったそうです。
近代の学校は、イギリスの産業革命から始まります。
約200年前で、歴史が浅いのです。
蒸気機関による産業が活発になるとたくさんの工場ができ、そのまわりに人が集まって、そこに住むことで都市ができました。
親が工場へ勤めに出るようになると、家には子どもだけが残ってしまいます。
そこで、地域に残った子どもたちを集めて学校を作ったのです。
これにより、親が安心して仕事へ行けるようになったわけです。
これが近代の学校の始まりです。
ですから学校は、子どもの教育を目的にして作った場所でないのです。
現代の日本の学校は、質がよい労働者を育成する場所の意味合いが強いです。
ですから、障害者や発達障害者などは、教育の重荷となっているように感じます。
企業と政治の本音は、健康な生産力がある人材を輩出して欲しいですからね。
非正規労働者やフリーター・アルバイトが多いのは、これと関係があるのでしょうね。
質が悪いと判断された労働者は、低賃金で働かせる意図があるのかも知れません。
そんなことを含めて、不登校問題などを考えていく必要があると思っています。
さて私は、子どもたちにとって、学校が楽しい場所であることが何より大事であると思っています。
子ども時代というのは、一生に一回しかありません。
大人は、その子ども時代を大切にしていかねばなりません。
勉強ばかりが能ではありませんね。